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守破離

ちょっと前からか本屋に行くと「断捨離」関連の本が目立つ。読んだことが無いので関係があるのかないのか知らないが、私はいつも「守破離」という言葉を思い出す。

「守破離」は修業の段階を3つに分けたもので、武道や芸事の世界では昔からよく言われたそうである。師弟関係ありきの言葉だとも思うが、この精神は独学であれ何かの技能を身に付けようとする者は知っておきたい。

「守」これはわかりやすい。守る。師匠の流儀通りやるということ。教わったことを厳守しなければならない。

「破」これも文字通り。教えを破るのである。違うこと試す。工夫を加える。他の流儀を学ぶetc。重要なのは「守」が徹底できてからの「破」ということだ。

独学ではやはり「守」が難しい。まずもって何を守ればいいのか。さしずめレクチャー本なりレクチャーDVDなりの教えになるのだろうが、これらのクオリティは実に玉石混交で、中には悪い見本みたいなのもある。そんなやり方を守っちまったらお先真っ暗だ。とりあえずは定評のあるものを選びたい。しかし、考えてみれば生身の師匠もピンキリだ。「師匠選びも芸のうち」という言葉もある。やはり伸びる人はその辺を見極める目を持っているとも思う。

守るべきもが正しく選べたとしても、独学の場合やはり「守」は難しい。すぐに自分のやりよい様に変えてしまう。あるいは創意工夫をしたくなる。「守」なき「破」である。「守」より「破」の方が楽しいので、道楽ならば仕方がないのかもしれない。しかし、芸を極めようという場合それではまずい。「守」をしっかりしないと後で苦労する。私が現在それで後悔しているところだ!

「型のある人が型を破ることを型破りといい、型のない人が型を破ることを型無しという」 by 無着成恭

さて「離」を言っていなかった。これは難しい。「守破離」でググればわかるが、「離」の解釈は実にさまざまだ。字義的なわかりにくさもあるが、この境地自体が深遠なのだろう。

「離」。離れる。何から? 普通に考えると「守」と「破」の的である「教え」と言うことになる。「守」と「破」から離れるという取り方もある。どちらも結果としては似ている。「守」も「破」も対象があって成立する概念だから、対象から離れることは「守」「破」から離れることになる、ただ、「守」「破」から離れることが対象を離れることにはならない。言葉遊びでの話だが。

ま、要するには「離」の段階では、何かと照らし合わせるということが無くなるのだと思う。ただあるべきようにあるという境地。教わったとおりかもしれないし違うかもしれない。しかし、そんなことは重要でない、否、その前に意識に上らない。最終的にはそういうところに落ち着くのだろう。いや、想像だが。

守破離については、また自分が「離」に到達したときに改めて解説したい。しかし、あと2回ぐらい生まれ変わる必要がありそうだ。
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『SICK』について

SICK』を出して1年。ってことでこれについて少し。

このDVDを出したのは私が30歳のとき。30で作品集を出すことは20代半ばに決心していた。

30歳というのは一般的にもまあ大きな節目だと考えられている。実は人間の脳ミソも30でターニングポイントを迎えるらしい。別に頭が悪くなるわけではなく、種類がシフトする。吸収力に優れているのは30までで、30からは蓄積したモノの使い方が上手くなるんだそうだ。

それが本当なら、30歳までは修業期間で、30過ぎてデビューってのが理に適っている気がする。孔子も「30にして立つ」なんて言っている。さすが孔ちゃん、脳科学を知っていたのかもしれない。

また、私がマジックをまともに始めたのは20歳(15で志したかったところだが)。30でマジック歴10年ということになる。10年やってダメなら才能に問題がありそうだ。

そんなわけだから勝負の歳は30以外に考えられなかった。もっとも、当初はコインマジックに絞ったDVDにするつもりはなく、カードマジックやロープネタなども含んだバラエティに富んだ内容にするつもりだった。もちろんコインマジックをメインにするつもりではあったけど、それだけで作品集になるほどの持ちネタはなかった。

ところがどっこいである。30前になってコインマジックのアイディアがどっと湧き出した。いやもっと正確に言うと、それまで寝かしていた断片的アイディアが急に結合し始めた感じか。とにかく次々と作品が生まれて、それなりの数になったので、DVDはコインだけでいくことにした。

そして2009年12月25日にリリース。

これが思いのほかヒット。

本当の事を言うと、そんなに予想外だったわけではない。私は、ディーラーが本業だし目が利く方なので、商品がどれぐらい売れるかはだいたいわかる。そして、どう評価されるかもわかっていた。「すごい腕のマジシャン」である。

この評価は嬉しいけど、本意とは少しずれる。作品集なのだから、演技の上手いマズいではなく、作品の良し悪しの方を本当は見てもらいたい。コンセプトが面白いとか、サトルティが巧妙とか、ハンドリングのつながりが美しいとか……。しかしまあ、メディアの性質上どうしても演技の方に目が行ってしまう。やはり作品自体を味わってもらうには活字しかないのかも知れない。

DVDでは何となく上手く見えるが、これは実際に上手いのではなく、上手くできるまでレコーディングを重ねているからに過ぎない。何も腕を良く見せたいのではなく、頭の中にある作品を出来るだけ劣化の少ない形で提示したいからそうしているのである。しかし、まあわかっちゃいたけど、結果として実際より格段に上手いような印象を与えてしまう。ハッタリを効かせるには好都合だけど、実際にやってくださいとなるとかなりツラい。正直な話、『SICK』に入っている作品のいくつかは私はまともに演じられない。

そりゃあ難しいもの。

いや、だからと言って実践的ではないと思われては困る。難度と実用性は無関係ではないにしろ本来は別のパラメーターだ。ふじいさんのリンキングシガレットなんて相当に難しいが、実践にはめちゃくちゃ強い。私の作品も、難度こそ高いが、構造上の弱さが特別にあるわけでなし、なかなか実践的だと思っている。

ま、ふじいさんのようにやって示さなければ説得力はないが。

私も実践でバシッと決められるようになりたいもんだ。どれぐらいの時間がかかるのか、はたまたそれが可能なのかどうかもわからないが、とりあえず40歳までの目標としたい。

マジシャンは魔法使いの役を演じる役者なのか?

ロベール・ウーダン(Robert-Houdin)の言葉

"A magician is an actor playing the role of a magician"

は通常、「マジシャンは魔法使いの役を演じる役者である」と訳される。

Magicianには「魔法使い」と「奇術師」という2つの意味、あるいは両方にまたがる意味があるからね。日本語で「マジシャン」と言うと「魔法使い」のニュアンスは消えてしまう。

Magicも然りで、と言うかこっちが元だけど、「魔法」と「奇術」の意味を含む。そして日本で「マジック」と言えば「奇術」である。

したがって文脈によって日本語を選ばなければならない。むやみにカタカナ語にすりゃええってももんじゃありません。

"Do You Believe in Magic?"という曲の邦題は「魔法を信じるかい?」だけど、これが「マジックを信じるかい?」では意味がよくわからない。

"It looks like real magic"を「本当のマジックみたいだ」にしちゃうと、「いや、マジックなんすけど……」ということになる。

さて、ウーダンの言葉に戻ると、一文の中で2回magicianと言う単語が出てくる。訳文では最初のを「マジシャン」、2回目のを「魔法使い」と置き換えている。気の利いた訳だと思う。変だと感じたことなんてなかったけど、最近になってこれは本当にあっているのか? と思うようになった。


ロベール・ウーダンは「近代マジックの父」と呼ばれるフランスのマジシャン。だからきっとこの有名な言葉もフランス語だったんでしょうな。

ウーダン(Houdin)を愛(I)したハリー少年は、ステージネームをHoudiniにしましたとさ。ご存知ハリー・フーディーニ。あやかろうって名前でうまいこと大成したもんだ。

それはさておき、ウーダンというのは燕尾服にシルクハットというスタイルを確立させたマジシャンだ。魔法使いよりも思いっきりマジシャンのイメージでっせこれは。


そもそも私がこの訳に疑問を持ったのは、スライディーニの研究で有名なジーン・マツウラさんと話してからだ。

スライディーニは言わずとしれた大名人。マジシャンの憧れだ。しかし彼の動作は個性がきつく、他の人が真似るとどうしても違和感が出てしまう。もちろんスライディーニがやると違和感はない。

スライディーニがうまくいっているのは、もともとあんなアクションのおっさんだからである。

ずっとそう思っていた。しかし、マツウラさんが言うにはそれは完全な誤りで、普段のスライディーニはきわめてノーマル、そういう個性的な身振り手振りは全くなかったんだそうだ。その意味で彼は役者だった。そうマツウラさんは言っていた。

で、ウーダンの言葉を思い出した。なるほどマジシャンは役者か。でも、スライディーニが演じていたのは魔法使いなのか?


また別の話になるが、私の知っているマジシャンで、営業に行くときは必ず運転手とかばん持ちを連れて行くという人がいる。クライアントが喜ぶんだそうだ。偉いもんだと思った。

もちろん(?)普段からそんな生活を送っていることはなく、ある種の演技・演出である。そしてこれ当然、魔法使いを演じているわけではない。魔法使いなら、ホウキにでもまたがって行けばいい。クライアントは心配するはずだ。


ま、とにかく、良いパフォーマーには役者だなあと思わせるところがある。マジシャンとしての設定をしっかり持っていて、それを徹底している。つまり、自分の考える「マジシャン」を演じているわけだ。

「マジシャンは、マジシャンの役を演じる役者である」

ウーダンの真意はわからないけど、こう訳すほうが私にはしっくりくる。

緊張しよう

前にも書いたけど、緊張というヤツは本来的には味方である。
一流のアスリートたちもやはり緊張するらしい。
が、それを力に変えている。

緊張は力を与えてくれる頼もしいヤツだ。
しかし、暴走しがちな困り者でもある。
主導権を渡してしまうと振り回される。
こちらのコントロール下に置かなければならない。
それが難しいんですが……。

とりあえず、緊張したくないなんて思っちゃいけない。

緊張したくないのに緊張している時点で主導権はあっち。
形勢を変えるってのは大変だ。

最初から、緊張するぞ! と思ったらどうよ。

緊張したくて緊張してるんだから主導権こっち。
あら不思議! 気の持ちようってね。
そもそも緊張が気のもんだから、そんでOK!

あとはここからどうやって緊張を最適化していくのか。
ええまあ、今日はこの辺で。

そもそもプロマジシャンというものではありませんが何か

プロマジシャンの定義とは?

狭義には「パフォーマンスを生業にしているマジシャン」だと思う。

その意味でいうと私はプロではない。
ディーラーだもの。
ディーラーとプロマジシャンは、ピアノ販売員とプロピアニストぐらい違う。

あ、このブログのタイトルはもちろん藤山新太郎さんの『そもそもプロマジシャンというものは』をパロッたもの。
この本はマジックの芸論が語られた非常に貴重な一冊。
未読の方は今すぐフレンチドロップで。

https://www.frenchdrop.com/detail?id=2546

ってなわけで、私の飯の種は商品の売り上げなのである。

プロになりたいと思ったこともあった。
マジックが好きだから。

が、考えれば考えるほどプロに必要なのは、マジックそのものではなく、その先の要素。
つまり、ショーマンシップだとか、プレゼンテーションとか……。

もうアマチュアでいこうと思った。
マジックが好きだから。
トリックと言った方がいいのかもしれない。

私が本当に興味があるのは「いかに騙すか」だし、そもそもエンターテイナーとしての才能があるとは思えなかった。

プロじゃないという立場が私には非常に合っている。
ずっとこのスタンスでいくつもり。

そんな事を言っていたら先日、「あなたはプロですよ。もっとプロ意識を持たなきゃダメですよ」とトンさんから言われてしまった。

確かにプロ意識は低い。
だってプロじゃないもん。
でもトンさんがプロって言うんだからプロなのか。

たぶんプロだと思ってやりなさいって事なんでしょう。
それなりの場でショーをする以上、やっぱりプロ意識は必要だと思うし。
あまえなさんなってことですかね。

ま、頑張ります。
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ポン太 the スミス

Author:ポン太 the スミス
マジシャンのポン太 the スミスです。

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